飯縄山系の支峰・霊仙寺山、雪降る前の山納めに。

飯綱東高原の登山口は、霊仙寺(りょうせんじ)跡から。
鎌倉時代に「戸隠山宝光院の衆徒が霊仙寺に移住した」という記録があり、室町時代の石水鉢が残っていることから、かつての隆盛が偲ばれる。
長沼へ移転したという、五社権現を中心とする跡地の構造は、奥社や小菅神社、関山神社、室生寺などを連想させる。
いまは、石祠や石段だけが残る、静かな史跡。

「かつて高さ九丈(約27m)という大杉があって、ウロに熊が住みついたため、猟師が鉄砲で撃ったら、朽ち木に火が移って燃えて、株だけが残っている」という話があるが、どの株だろうか…

奥に「戸隠かけぬけ道」と書かれた石塔が立っている。
「道祖猿田彦命 霊仙寺山頂より飯綱山を経て戸隠山中社へかけぬけ道」
と書かれている。

修験者が尾根を登り、霊仙寺から飯縄山頂、戸隠へ駆けぬけていく風景を想い、道をたどる。

登山道は、黒姫山の東登山道に似た、カラマツから広葉樹になる笹の多い道。
幅は、ひと一人分くらい。夏は藪っぽそう。


森林限界に近くなると、飯縄山頂が望める。
近いようで、霊仙寺山頂からのコースタイムは50分ほど。
寄生火山の大きさを知る。

支峰のとりつきにある石碑
「奥山祇命」
土台の岩に、しっかりと支えられた大きな碑。

山頂下にある二つの碑。
岩の上によく残っている。

手前がおそらく「木花咲耶姫命」

ほぼ読めません。

奥は「正一位護王大神」

二つの碑は少しずつ角度が違っていて、木花咲耶姫の方はたぶん富士山の方を向いている。
ギリギリ見える富士山と浅間山。

山頂は「国常立命」
記紀の神々の名が記されている。

江戸時代かなと推定されるけど、あまりにも風化していて読み取れない。
山頂付近は広い台上で、四方の展望が素晴らしい。

飯縄山への分岐指導標…

黒姫と妙高の裾野が広がり、日本海へ抜けていく、ここならではの景色が美しかったです。

石碑は、実は10基ほどあったようですが、4つしかわからなかった…

文字の参照は昭和43年の『信濃町公民館報』より。
この当時も、すべては見つからなかったそうだけど、まだ文字がはっきりしている。
夏場はちょっと厳しそうだけど、よい山でした。

< 2016年12>
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「人口減少社会において中山間地域の活性化には、移住交流の促進や里山暮らしの再発見が大事」といった視点に対し、そもそも山の方に住むってどういうことかなを体感する戸隠暮らしもなんと5年目となりました。
この暮らしの豊かさと、自然の美しさ、ちょっと不便が創意工夫を生むこと、先人の知恵と歴史の厚みなどなどを、日々の発見とともに記録していきたいと思います。
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