黒姫弁財天(2)ゴウロと五輪堂

さて「ゴウロ」である。
『長野県町村誌』に「黒姫弁財天の里堂は字ゴウロにあり」と記録されている、里堂を探しに行く。

ゴウロとは、芋井の狢郷路山(むじなごうろやま)や、木島平の朝日ゴウロ(古墳)のように、岩っぽい場所を指すことが多い名前である。

しかし、普通の地図で信濃町を見ても、地名としては見あたらない。
自分の住んでいない土地の「字」名を探るのは、けっこう難しい。

地図を見てもわからなかったが、雲龍寺さんから場所を教えてもらうことができた。
黒姫山の表登山道(東登山道)の入り口にある、町民の森近くに「ゴウロ」があるとのことだった。
(教えてもらわなければ分からなかった!)

通りかかっても意識しにくいところに、きちんと看板が立っている。

「黒姫山別当職 寳林禅寺 雲龍寺中之宮跡 是より250m先」と書かれた看板が、ゴウロの入り口とのことだった。
黒姫弁財天(2)ゴウロと五輪堂

轍跡のある草道を入り、水路を渡っていくと、突如開けた場所に出る。
小高い丘の上に、石祠が3基。
ゴウロ、中の宮である。
黒姫弁財天(2)ゴウロと五輪堂
杉と雑木に囲まれ、水音が響く、西陽の明るい窪地。
石祠は真東を向いて立っている。

文字らしきものは読み取れないので、黒姫弁財天かどうかは分からない。
左の祠は半分になっている。

黒姫弁財天(2)ゴウロと五輪堂
よく見ると、緑に覆われた丘は、大きな岩である。
石祠と同じ、白い斑のある岩。
ゴウロは岩を産する地名であり、鉄道の敷石を採掘したということも雲龍寺さんは教えてくれた。

黒姫山の裾野の森の中だが、かつては採石場であり、材木を育てる場であったのだろう。
よく見ると灌木の下に、ところどころ巨岩が眠っている。

黒姫山の稜線が、木々の合間からはっきりと見える。
山を拝める場所だ。
たしかにここは、古い信仰の跡であると感じられた。

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つぎは、はじめに黒姫弁財天が祀られたという「五輪堂」を探す。
『町村誌』に「恵心僧都が黒姫山に登って黒姫弁財天の像を作り、五輪堂にある宝教寺に祀った」とある五輪堂である。
(このへんは別説もあるので、要検証)

ネットで検索すると、『柏原町区史』に五輪堂(遺跡)に関する記述があることがわかった。
また、踏切の名称に「五輪堂」があることから、大体の場所がつかめる。

「五輪堂遺跡」は、縄文時代と平安期の出土があり、古くから人の住んでいた場所らしい。

五輪堂踏切を起点に、黒姫山の方へ道を辿ると、古い道標に出会う。
「右 戸隠山道 左 さくば道」
と描かれている。
古道の交差する道しるべである。
黒姫弁財天(2)ゴウロと五輪堂

『柏原町区史』昭和63年発行「戸隠山道(P.242)」には
「善光寺方面から登る表参道とは別に、柏原からは戸隠山に通じる裏道があった。宿場(柏原宿)の中心部から西側に分岐して仁之倉を経て、湯ノ入川沿いから黒姫山・飯縄山の山峡を西上して、大橋・念仏池・越水ケ原、そして中社・奥社へ通じる」
とある。

そのまま東へ行くと北国街道へつながる、往還の交差する地点である。
詳細は不明ながら、この戸隠山道の起点に「五輪堂」があり、そこを「大昔は黒姫弁財天が祀られていた」と明治の人々が認識していたという事実がある。

位置的に、人が住みやすい平らで水がある耕地の高台が、初期の五輪堂であろうことは、地形を見れば推測できる。
黒姫弁財天(2)ゴウロと五輪堂
黒姫山信仰には、黒姫山の位置と往来の道と水の流れ、戸隠とのつながりもあるのではないかと思わせる、わずかな記録と古い道標が、さらなる探索を誘う。


それぞれの位置図。
紫の線は、古い街道の一部。
黒姫弁財天(2)ゴウロと五輪堂

(ちなみに五輪堂踏切は、1987年に「球電」と言われる発光現象が撮影されたことでも有名らしく、検索の過程で不思議な画像にも出会った)

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