ポックリ地蔵−黒姫から戸隠山道の往来
2016/07/17
黒姫弁財天を探しながら、気になる民話に出会った。
信濃町の「ポックリ地蔵」。
戸隠と信濃町の関わりが偲ばれる民話である。
あらすじは
「仁之倉によく働くじいさまがいて、戸隠へ米や蕎麦を運び、黒姫山の草刈りをして暮らしていた。
ある日、黒姫山麓の笹原で地蔵の石仏を見つけ、ノゾキ井戸という畳一枚ほどの泉のほとりに移した。
通るたびにお参りし、日々よく働いた。
20年よく働き、85歳でお地蔵さまをお連れし、90まで働き、ぽっくりと亡くなった。
じいさまにあやかって、ポックリ地蔵と呼び、みなお参りするようになった」
というお話。
全文は、良いアーカイブであるJAながの「ふるさとの民話」で、倉石画伯の挿絵とともにどうぞ。
ふるさとの民話「ポックリ地蔵」
http://www.ja-nagano.iijan.or.jp/legend/2011/03/92.php
戸隠から仁之倉を通り、北国街道へつながる道は「越後道」とよばれ、信濃町側では「戸隠山道」という。
戸隠からは豊岡、折橋で鬼無里からの道と合流し、善光寺へ、また峠を越え小市から篠ノ井へと続く巡礼と物流の道である。
折橋は物資の参集地として賑わい、信濃町を朝発った荷馬がちょうど昼に着くので、農家は昼食の目安にしたという。(『柵村誌』より)
そんな往来が、人の生活として感じられる民話だと思う。
仁之倉、黒姫山、戸隠の他に、場所を示すものとして
じいさまがお地蔵さま見つけた山奥の笹っ原、
街道すじの「ノゾキ井戸」という泉、
が記録されている。
------------------------------------------
まず、仁之倉「ポックリ地蔵」をお参りしに行く。
小林一茶生母の家にほど近い、旧道筋に道標があり、民家の庭先に安置されている。
お参りして、失礼ながらとよく見て驚いたことに
お地蔵さまではない!
「厄除観音」!
「駒形石 厄除観音 文化元年 大聖院 建立」
と読み取れる。
大聖院は、江戸初〜中期創立、明治7年廃寺となった仁之倉の寺である。
山号は「飯縄山大聖院」であったと『長野県町村誌』にある。
町村誌には、大聖院を含め、明治初期に廃寺となった3つの寺が記録され、廃仏毀釈により整理されたと推測される。
駒形石という岩が近くにあったのだろうか?
石仏の形態がどうであれ
・仁之倉に元気で信心深いじいさまがいて、大事に祀っていた石仏があった。
・石仏はじいさまにあやかって「ポックリ地蔵」と呼ばれた。
という民話の筋は変わらない。
また、家にお連れしようと思ったけど、やはりそのままにしておいて、今もまだ山中の泉のそばにお地蔵さまがある、という景色も 思い描ける。
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さて、「ノゾキ井戸」である。
街道筋の「畳1枚ほどの泉」といって連想するのは、県道沿いにある「一杯清水」である。
井戸は井戸であって、泉の名前にしっくりこないが、少なくとも「ノゾキ」というのだから、高いところにあって下を見おろす地形だろうが、県道整備によって当時の地形はわからなくなっている。
「一杯清水」も地形図や「山と高原地図」に記載がありながら、看板等はないので、県道を通るたびに気になっていた。
地図をたよりに探してみると、草薮のなかに確かにそれらしき泉があった。
山道の貴重な水場であっただろう小さな泉で、そばに馬頭観音が二つ。
一つには「右 やまみち 左 とがくし」という明治29年のもの(左)。

信濃町の「ポックリ地蔵」。
戸隠と信濃町の関わりが偲ばれる民話である。
あらすじは
「仁之倉によく働くじいさまがいて、戸隠へ米や蕎麦を運び、黒姫山の草刈りをして暮らしていた。
ある日、黒姫山麓の笹原で地蔵の石仏を見つけ、ノゾキ井戸という畳一枚ほどの泉のほとりに移した。
通るたびにお参りし、日々よく働いた。
20年よく働き、85歳でお地蔵さまをお連れし、90まで働き、ぽっくりと亡くなった。
じいさまにあやかって、ポックリ地蔵と呼び、みなお参りするようになった」
というお話。
全文は、良いアーカイブであるJAながの「ふるさとの民話」で、倉石画伯の挿絵とともにどうぞ。
ふるさとの民話「ポックリ地蔵」
http://www.ja-nagano.iijan.or.jp/legend/2011/03/92.php
戸隠から仁之倉を通り、北国街道へつながる道は「越後道」とよばれ、信濃町側では「戸隠山道」という。
戸隠からは豊岡、折橋で鬼無里からの道と合流し、善光寺へ、また峠を越え小市から篠ノ井へと続く巡礼と物流の道である。
折橋は物資の参集地として賑わい、信濃町を朝発った荷馬がちょうど昼に着くので、農家は昼食の目安にしたという。(『柵村誌』より)
そんな往来が、人の生活として感じられる民話だと思う。
仁之倉、黒姫山、戸隠の他に、場所を示すものとして
じいさまがお地蔵さま見つけた山奥の笹っ原、
街道すじの「ノゾキ井戸」という泉、
が記録されている。
------------------------------------------
まず、仁之倉「ポックリ地蔵」をお参りしに行く。
小林一茶生母の家にほど近い、旧道筋に道標があり、民家の庭先に安置されている。
お参りして、失礼ながらとよく見て驚いたことに
お地蔵さまではない!

「厄除観音」!
「駒形石 厄除観音 文化元年 大聖院 建立」
と読み取れる。
大聖院は、江戸初〜中期創立、明治7年廃寺となった仁之倉の寺である。
山号は「飯縄山大聖院」であったと『長野県町村誌』にある。
町村誌には、大聖院を含め、明治初期に廃寺となった3つの寺が記録され、廃仏毀釈により整理されたと推測される。
駒形石という岩が近くにあったのだろうか?
石仏の形態がどうであれ
・仁之倉に元気で信心深いじいさまがいて、大事に祀っていた石仏があった。
・石仏はじいさまにあやかって「ポックリ地蔵」と呼ばれた。
という民話の筋は変わらない。
また、家にお連れしようと思ったけど、やはりそのままにしておいて、今もまだ山中の泉のそばにお地蔵さまがある、という景色も 思い描ける。
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さて、「ノゾキ井戸」である。
街道筋の「畳1枚ほどの泉」といって連想するのは、県道沿いにある「一杯清水」である。
井戸は井戸であって、泉の名前にしっくりこないが、少なくとも「ノゾキ」というのだから、高いところにあって下を見おろす地形だろうが、県道整備によって当時の地形はわからなくなっている。
「一杯清水」も地形図や「山と高原地図」に記載がありながら、看板等はないので、県道を通るたびに気になっていた。
地図をたよりに探してみると、草薮のなかに確かにそれらしき泉があった。
山道の貴重な水場であっただろう小さな泉で、そばに馬頭観音が二つ。
一つには「右 やまみち 左 とがくし」という明治29年のもの(左)。

戸隠イースタンキャンプ場の前にも
「右 やまみち 左 えちご道」
とかかれた道標がある。

いろいろみていくと、左右の行き先を示す案内の文字は、旧道の分岐点に置かれる道標や石仏に刻まれることが多い。
一杯清水も水場なので、「ひと息ついたあとに方向を見失う道迷い」を防ぐ目的で置かれたのかもしれない。
また、仁之倉の知人に「一杯清水」について
「一杯清水は、かつて茶屋があって、泉のほとりには柳の木があった。
県道をバスが通っていた頃は、「一杯清水」というバス停があった」
という話を聞いた。
ノゾキ井戸にはたどり着けないが、山道の往時と、県道のなりたちが偲ばれる。
--------------------------------
余談だが、個人的に気になるのは
「新しい年が来るたび、年を一つずつ減らしていくように、体がよく動いた」
というくだりである。
妙に具体的なじいさまの年齢は
65歳 お地蔵さまを見つける。以後20年よく働く。
85歳 思い立ちお地蔵さまをお連れする
90歳 ぽっくりと亡くなる。
すでに物語のはじめで65歳と、当時にしては高齢なのに、毎年減っていくと、20年働いて45歳並み?
「よく働くことができてよかった」というのは、「ラクして幸せになった」という「めでたし」とは別の功徳である。
逆浦島太郎というか、「ノゾキ井戸」という異界の入り口から何かを得て、若返りの幸を得る異界訪問譚としてみると、ちょっと面白いが、また別の物語になりそう。
「右 やまみち 左 えちご道」
とかかれた道標がある。

いろいろみていくと、左右の行き先を示す案内の文字は、旧道の分岐点に置かれる道標や石仏に刻まれることが多い。
一杯清水も水場なので、「ひと息ついたあとに方向を見失う道迷い」を防ぐ目的で置かれたのかもしれない。
また、仁之倉の知人に「一杯清水」について
「一杯清水は、かつて茶屋があって、泉のほとりには柳の木があった。
県道をバスが通っていた頃は、「一杯清水」というバス停があった」
という話を聞いた。
ノゾキ井戸にはたどり着けないが、山道の往時と、県道のなりたちが偲ばれる。
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余談だが、個人的に気になるのは
「新しい年が来るたび、年を一つずつ減らしていくように、体がよく動いた」
というくだりである。
妙に具体的なじいさまの年齢は
65歳 お地蔵さまを見つける。以後20年よく働く。
85歳 思い立ちお地蔵さまをお連れする
90歳 ぽっくりと亡くなる。
すでに物語のはじめで65歳と、当時にしては高齢なのに、毎年減っていくと、20年働いて45歳並み?
「よく働くことができてよかった」というのは、「ラクして幸せになった」という「めでたし」とは別の功徳である。
逆浦島太郎というか、「ノゾキ井戸」という異界の入り口から何かを得て、若返りの幸を得る異界訪問譚としてみると、ちょっと面白いが、また別の物語になりそう。